仏教の修行の基本は八正道。実践徳目である正見・正思惟(しょうしゆい)・正語・正業・正命・正精進・正念・正定(しょうじょう)を解説

人生にはいろいろな出来事が次から次へと起こりますが、その中で仏教の教えを知りたいと考える人にとって基本的な真理は八正道に集約されているとされています。これは釈尊が苦しみをなくす方法を解き明かした方法で、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の8つの教えになっています。この教えを学ぶ事で仏教の基本を学ぶ事が出来ると言われていますが、どのような真理があるのかをそれぞれの言葉の意味と共に解いていきましょう。

正見・正思惟の考え方について

正見とは偏ったものの見方をしないで先入観のない状態で、その物事のありのままを見るという事です。これはとても難しい事であり、どうしても人間関係が関わってくると、愛着のあるものとそうでないものとの間には別の感情が不思議と出てくるものです。それを出来るだけ減らす事で苦しみを生む原因を減らす事が可能になるということです。
正思惟とは、自分中心的な思いを捨てる事で苦しみをなくす事が出来るという考えです。人はどうしても幸せになりたいと考えるものですが、その幸せが自分だけが良ければよいというものであれば、貪欲になります。この貪欲というのは仏教における三毒の中の一つと言われていて、自分の中にある正しい思いを蝕んでいき、結果的に煩悩として人を苦しみを生み出してしまう事にあるのです。ですからこの思いを無くす事で、正しく物事を見ながらこの世の真理に照らし合わせた考え方を持つという教えになります。

正語・正業という考え方について

この正語というのは相手を騙したりすることや、自分を偽る為についてしまう嘘をつかないという事です。特に騙すつもりなかったのにも関わらず、結果的に騙す事になってしまったというのではなく、あくまでも最初から騙すつもりだった時に言った言葉の方が罪が深いです。他にもどうしても自分本位になってしまい事実とは違う言葉で飾りたてたりすることもあまり良くありません。中でもその話の中で、比較対象として相手を引き出して来て、その相手のことを落とすような悪い感じで言ったりするのは、当然相手は傷つきますが、それを聞いている人も気分が悪くなるものです。相手に不快感を与えるような言葉は、発している人だけでなく周囲の人にも悪影響を及ぼします。そのようなことのないように正しい伝え方をする事が正語の考え方です。
正業とは、基本的によくない行動をしないという事で、生き物を殺したり人のものを盗んだり人としてしてはいけないことをしないという事です。

正命・正精進という考え方について

正命とは普段から生活習慣を整えて規則正しい生活をして、人を騙したり悪いような事をして脅したりしながら生計を立てるという人間としてしてはいけない事で収入を得ないという事です。これはたくさんある仕事の中でも、人の迷惑になってしまうような仕事や世の中の人の為には、到底ならないような職業に就くという事で、自分が得ている収入源が良くない所からである場合には、必ず被害に遭っている被害者が存在していて、その被害者のお金が収入になっている恐れがあるからです。
正精進とは自分自身に与えられた何かの目的や目標に進むために、正しい方法で努力しながら進んでいく事です。しかしこの目指す目的に対しての努力が、よくない方法だったり怠けてしまい脇道に進んでしまう事になると、かえって逆効果になってしまします。偏った方向に進んでしまう事がないように、普段から正しい考え方の元で、目標に向かって進んでいく事が大切とされています。

正念・正定という考え方について

正念・正定という考え方について

正念とは正しい心を持ちながら、自分本位な考え方で色んな物事の分別をしてしまわないで、本当の真実を見極めて普段の心の状態を常に正しい心に導けるようにする事です。人は、自分中心に考えが偏って、その結果で自分の都合の良い方に考えてしまいがちです。そのようになってしまうと、物事の本質を見失ってしまう事になりますので、その様にならない為にも普段から自分本位の考え方を見直す事が重要になってきます。
正定とは心の状態が定まっていて、しっかりと自分で判断して決断した事が、外的要因によって狂ってしまったり、変化によって迷ってしまったりする事がない様にする事です。外的要因には環境の変化も含まれていますが、一度正しく判断して決心をした事を簡単にやめてしまうという事です。一度決心したものを諦めてしまう様なことがない様に、あらかじめどの場合でも対応して努力する事を諦めないようにしておく事が必要です。

まとめ

この様に八正道では正しく調和の取れた考え方や見方で、自分本位にならずに不平や不満などを人が苦しんでしまう種を作らない為にも、大きな真理に基づいた考え方で物事を判断できる人間になる道標です。すべて平等にという考え方は非常に難しいことかもしれませんが、少しでもその真理に近づく様な考え方で生活することが人間が本当の苦しみから解放されて生きていく事になるのは間違いなく、その悟りこそが本当の八正道の教えなのでしょう。