
諸外国と日本の教育についての比較研究を進めながら、京都の社会教育活動に熱心に取り組んでおられる西岡先生と、シンクロナイズドスイミングの選手としてご活躍後、キャスターの仕事などを経てラスベガス最高峰のアクアショー「O(オー)」に出演されるなど、華々しいご活躍をされておられる奥野史子さん。
そんなお二人の、学ぶ喜びや子どもを育む家族・社会についてのお話は、働きながら学ぶ人々の心を勇気で満たしてくれる力強い対談となりました。
社会に貢献しながら自分も学ぶことができる こんな贅沢は逃せない
西岡
奥野さんとは「京都市人づくり21世紀委員会」の委員でご一緒して以来のご縁ですね。この間「子どもを共に育む京都市民憲章」制定の会で奥野さんに再会した時、ますます輝いていらっしゃる姿を見て、対談できたら嬉しいなと思っていました。
奥野
京都市の方から委員のお話をいただいた時は、シンクロひと筋だった自分が社会の役に立てるのかと不安でした。でも、先輩方から学ぶことで自分自身が成長できる機会でもあると考え、お引き受けしたのです。
西岡
奥野さんは引退後、キャスターの仕事をしながら同志社大学の大学院へ通い、その後渡米して「O」のステージに出演されたのですよね。その一方で、結婚や出産もされ、子育ても楽しんでいらっしゃる。忙しさをバネにして自分を高めている姿勢が、表情をいきいきさせているのでしょうね。時間を無駄にしまいと大変な集中力で学んでおられる通信教育生も、スクーリングで会うと、奥野さんと同じ伸びやかな表情をしています。心の品格が顔に現れるのだと思います。
奥野
私は意志が弱いからこそ、自分にリスクをかけて生きるようにしています。シンクロは忍耐そのもののスポーツ。また、それが自分のDNAでもあると思っているので、あえて厳しい環境に自らを追い込むようにしています。
西岡
目標を次のチャレンジの力に変えて一歩ずつ人生を構築してこられた結果、頂点を極められたのですね。
奥野
私の歩みは、コーチをはじめとするたくさんの方とのご縁の賜物です。もう一人の母とも言える井村コーチがこれ以上ないほど私を厳しくリードしてくださったからこそ頑張れました。コーチがドアを開ける音やプールサイドを歩く足音ひとつで、その日の心境がわかるほど、強い師弟関係でしたから。
西岡
厳しさに応える柔軟性が奥野さんにあったからでしょうね。最近は叱られることに慣れていない学生が多く、厳しくされて初めて生まれる信頼関係を学んでこれなかった人が多い。厳しく指導されるということは信頼の証でもあり、心の贅沢でもありますよね。
奥野
私は今でも誰かに叱られたいし、叱られて様々なことに気付ける年齢がうらやましくもあります。私は、他人の子どもであっても「悪いものは悪い」と厳しく注意します。なかには、「他人の子どもなのにそこまでしなくても」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは大人の責任だと思うのです。「ほめて育てること」と「甘やかすこと」は違いますから。
西岡
私のゼミの学生たちは、人間的にも魅力的でとても優秀ですが、そうした子どもを育てられた親御さんには共通点があります。確かな筋が一本、通っているということです。頑固ならとことん頑固であったり、節約するなら徹底的に行うなどです。もちろん親の性格は様々ですが、みんな自分だけの確かな筋が一本通っていて、子どもに迎合してころころ変わりません。子どもは安心して育つのです。奥野さんもご自身の家庭や練習環境に感謝しておられるからこそ、他人の子どもにもあえて愛情を持って注意をするのだろうし、地域貢献活動にも積極的なのだと思います。
奥野
誰かの役に立てることは嬉しいですが、それよりも、自分がそこに参加することによって新たな刺激を受け、学べるという贅沢を逃したくないのです。
西岡
「人間は学び続けることをやめたら人間でなくなる」という学習社会論のハッチンスの言葉のように、いくつになっても人は成長するものです。「学びたい」という欲求は、「変化したい」「生きたい」という欲求でもありますね。
奥野
誰しも自分のことが好きでしょうし、今よりももっと自分を好きになるために学んでいるのではないかなと思います。
ショー「O」で感涙! 次は自分が舞台に立とうと決意した
西岡
「O」の舞台に立つために単身アメリカへ行かれたのは思い切った決断ですね。
奥野
シンクロの世界では観客の反応を肌で感じることができていましたが、キャスターの仕事はスタジオ内の仕事なので、視聴者の反応がまったく伝わって来ませんでした。そんな毎日に息苦しさを感じ、ある時お休みをいただいてラスベガスに「O」を観に行ったのです。ステージを観た瞬間、涙が溢れ、「次は自分も絶対にこの舞台に立つんだ」と決めて帰国し、休業宣言をしました。母は、やる以上は納得がいくまでやるようにと黙ってサポートしてくれましたが、自分が子どもを持ってみて、さぞ心配だったろうなと思いました。アメリカでは、妊娠七カ月までショーに出演したのですが、現地ではそれも自然なことで、衣装をつぎはぎしながら続けていたのですよ。
西岡
ベルトコンベアーに乗せられたような育ち方をする子どもが増えている中で、奥野さんの「有言実行」の精神力は、幼い頃からの環境によって磨かれたものなのでしょうか?
奥野
子どもの頃から、シンクロの練習では、「今日の目標・今週の目標・今月の目標」を設定し、目標を自分の動機付けにしていました。それが習慣になったのかもしれませんね。スポーツをするうえで、肉体はもちろん大切ですが、それ以上に欠かせないのが精神力です。トレーニングはメンタルを鍛える練習でもあります。
西岡
練習によって「生きる力」も鍛えられたのですね。現代社会では、進学や就職のみをステップアップと捉えがちですが、人は生まれた瞬間から、一歩ずつ階段を上るようにして自己概念を形成していくものです。奥野さんの人生は、幼い頃から毎日の目標を一つ一つクリアしてこられた歩みそのものなのですね。
一刻一秒、全てが学びの瞬間 大切に生きていきたい
奥野
大学生時代はあまり勉強熱心ではなかったのですが、社会に出て、自分で学費を払って大学院に入ってみると、学習したことを役立てたいと思う気持ちが強く、学ぶことにとても貪欲になりました。
西岡
教育学部では、小大連携の取り組みの中一回生から学校という現場で実習し、理論と実践が融合するようになっています。大学の授業が現場に生かされていることを体感することができます。通信教育生の方も、すでに社会生活をされながら、学問を実践に応用しようという気迫で学ばれる。年齢が高いと知識が入りにくいのではと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、経験と照らし合わせて勉強するからかえって吸収しやすいのです。教師の側も、現場の意見を聞くことができ、学ばせてもらっています。
奥野
大学院ではエンターテイメントスポーツの勉強をし、「O」では結果として体当たりのフィールドリサーチをやったのですから、私も子育てに目途がついたら、新たな仕事にその体験を活かしたいなと思っています。
西岡
そういえば、シンクロのオリンピック競技では、その日の演技のみならず前段階までの実績も採点に影響すると聞き意外に思いました。一発勝負で成功すれば良いのではなく、それまでの過程が評価される点は、非常に人間社会と似ていますね。
奥野
採点競技では選考会に至るまでの戦い方もジャッジの対象で、情報合戦もありますし、実はとても人間的なスポーツなのですよ。
西岡
史上初の「芸術点オール10」を獲得された伝説の演技「夜叉の舞」は、かつてないオリジナルの演技で深い感動を覚えました。どのようにして誕生したのですか?
奥野
物事が大きく変化する時は、その前段階で大きく後退する時なのです。私の場合も、オリンピック前のワールドカップで、穫って当たり前だったメダルを逃してしまった。汚点を背負ったままでは終われないし、同じ戦い方ではもう勝てない。そこで、普通は笑って演技するのが常識のところ、あえて怒りや悲しみの表情で演じる「夜叉の舞」で行こうという発想に至ったのです。背水の陣の挑戦でした。
西岡
型破りの試みは、基礎がしっかりしていないと成功しませんが、それも計算された賭けだったのでしょうか?
奥野
怒りの表情で大きく口を開けたまま水中から浮き上がると、水が大量に口から出たりなどあらゆる難点がありました。それらをクリアするために技を駆使し、緻密な計算をしながら練習を繰り返して、形にしていきましたね。
西岡
「基本」という底力が「オリジナル」という花を開花させたのですね。教育においてもそれぞれの個性は大切ですが、基本に裏付けされて初めて個性が評価されます。
奥野
現代社会はスタイルに流されがちですが、私は迷った時は必ず基本に帰るようにしています。すると歪みやぶれが見えてくるからです。「夜叉の舞」は、日本人の私、もっと言えば京都に育った私でないと出来ないという信念で演じました。
西岡
様々な苦労を経て生み出された結果なのですね。そんな風に、苦悩の先にある成功体験を積み重ねてこられた奥野さんは、みんなの向上心にエールをくださる存在です。年齢を重ねれば重ねるほど輝く奥野さんは生涯学習時代のモデルと言えますね。今後も一層のご活躍を期待しています。
スポーツコメンテーター
奥野史子 おくの ふみこ
プロフィール
京都市生まれ。4歳から水泳を、小学1年生からシンクロナイズドスイミングを始める。大学時代ではバルセロナオリンピックにて銅メダルを、世界選手権ローマ大会(1994年)では日本人初の銀メダルを獲得。現役引退後はスポーツコメンテーターとして活躍しながら、「シルク・ド・ソレイユ」の水中ショー「O」に日本人として初出演するなど、多方面で精力的な活動を行っている。
教育学部教育学科教授
西岡正子 にしおか しょうこ
プロフィール
京都府立大学文学部卒業後、1978年にアメリカ合衆国州立インディアナ大学大学院教育学研究科成人教育学専攻修士課程修了。1981年、オハイオ州立大学大学院教育学研究科にて成人教育学専攻の後、同大学国際研究室研究員に。1988年より佛教大学教育学部に勤務、現在に至る。「京都市人づくり21世紀委員会」顧問、「京都府生涯学習推進ネットワーク」会長、京都府社会教育委員などとして活躍。