年間、数百回に及ぶ舞台を踏みつつ海外公演にも参加されている狂言師・茂山千五郎先生。
伝統芸能を語る生きた教科書として、佛教大学でも客員教授として講義を行っておられます。
今回、茂山先生とお話しいただくのは、日本近世史の中で地域や庶民の生活文化史を考察し、現代社会の方向性を探っておられる渡邊忠司先生。
茂山家の軌跡をたどりながら、狂言のルーツから狂言界の現代模様までをご対談いただきました。

始まりは中国伝来の散楽 庶民の芸能、狂言が殿様お抱えの洗練文化へ
渡邊
茂山家は、伝統ある狂言の世界を多様な舞台で発信されておられますね。その成り立ちを教えていただけますか?
茂山
ルーツとなるのは、中国の寄席芸「散楽」で、奈良時代に日本へ伝わりました。それが滑稽な芸でして、猿を連想することから「猿楽」と呼ばれ神楽として庇護されました。しかし、平安遷都の際、猿楽を好まない桓武天皇が雅楽の部分だけを都へ移し、朝廷の保護から外れた猿楽は自由な庶民芸能として庶民の間に残ったそうです。その後、室町時代になって観阿弥・世阿弥親子が猿楽をもとに能を完成し、足利家庇護のもと洗練された作品が次々に生み出されます。同時に、庶民の出来事を面白おかしく風刺した台詞劇も生まれ、それが狂言となりました。この頃から能と狂言がともに発展したという歴史があるため、今も同じ舞台で演じられたりするわけです。
渡邊
茂山家は「大蔵流」というように、能や狂言には「流派」が存在しますが、いつ頃生まれたのでしょうか。
茂山
室町時代の後期には、大蔵流・和泉流・鷺流の三流が成立していたようです。江戸時代には、幕府直属として大蔵流・鷺流が、和泉流は尾張徳川藩と朝廷に直属して狂言方を勤めあげました。シテ方、囃子方、ワキ方など、それぞれ殿様好みの役者が集められ、座が作られていたそうです。
渡邊
明治維新で徳川家の庇護がなくなってしまい、狂言界全体が危機に瀕したそうですね。
茂山
江戸時代の狂言師は、いわば大名仕えのサラリーマン。生活が安定していたので狂言の文化そのものも育ち、伝承していくことができた。能・狂言をあわせて能楽と言い、演じ手を能楽師と言うのですが、徳川家は当時、能楽師を450人も抱えていたと言われています。それが、明治維新に伴い一夜にして解散。現代で言えば、リストラという憂き目にあったわけです。結果、鷺流は廃絶。大蔵流・和泉流の二派は何とか生き残ることができ、現在に至ります。

お豆腐狂言を掲げ再出発 高級料亭でも家庭でも上手いもんは旨い!
渡邊
明治以降の存続はご苦労がたくさんあったことでしょうね。
茂山
江戸時代みたいに、誰かが雇ってくれるわけではない。つまり、お給料が貰えないわけです。それなら自力でやっていこうということで、旅館や料亭など、能舞台以外の場所で狂言を演じ始めました。すると、他の能楽師らに「茂山の家は呼ばれたらどこでも出かける、まるでお豆腐みたいやな」と悪口を言われたそうです。京都では「おかずに困ったらお豆腐にしとこ」などとよく言います。それと同じように「余興に困ったら茂山の狂言にしとこ」と言われたわけです。しかし、それを言われた曾祖父・二世千作は「お豆腐、大いに結構! 豆腐は誰にでも手に入るが、味付け次第で高級料理にもなるし家庭料理にもなる。『おかずに困ったらお豆腐』みたいに『余興に困ったら茂山の狂言にしとこ!』と気軽に呼ばれて喜んでもらえたらええ。良い芸はどこでやってもええんやから」と言ったそうです。以来、「お豆腐狂言」は我が家の家訓となっています。
渡邊
元来、庶民の喜怒哀楽を表現した狂言ですが、江戸時代には手の届かない存在となっていた。その狂言が、改めて庶民社会に還元されていくきっかけとなったのですね。
茂山
私は30年前、古典も大事にしつつ新しい狂言も行っていこうという「花形狂言会」をつくりました。名前は歌舞伎の「花形歌舞伎」を参考にして命名したのですが、周りから「じゃらじゃらと歌舞伎のマネをするもんやない」と言われました。それでも何とか立ち上げ、東京でも狂言会を行うべく、叔父の千之丞の紹介でSF作家の小松左京さんに宇宙を題材にした創作狂言をつくっていただきました。当時は、ピンク・レディーの「UFO」がヒットしていた時代で、その音楽を笛や小鼓、太鼓、大鼓で演奏しようということになったのですが、囃子方に「とんでもない!」と大反対されました。そこで、歌舞伎の鳴物を担当する囃子方さんに頼み込んで、ようやく実現。こんな風にしきたりや伝統がまだまだ厳しい時代でしたが、自分が発信していきたいものに対する強い思いがあったので、逆に打ち破ってやろうという気持ちでいました。
渡邊
最近は幅広い世代に向けて狂言を発信されていますね。
茂山
15年ほど前に、いろいろな人にもっと狂言の世界を知ってもらいたい。そこで、これまであった茂山狂言会の会員制度を止めて、能楽界初のファンクラブを発足しました。クラブ名は「お豆腐狂言」にちなんで「SOJA」(フランス語で大豆という意味)とし、「お豆腐通信」を発行。狂言師との交流会やボーリング大会などのイベントも企画しています。会員は10代から80代まで幅広く、平安神宮内の庭園や西本願寺の舞台、醍醐寺の花見での宴、厳島神社の舞台など、さまざまな舞台と形で狂言を楽しんでいただいております。
渡邊
まさにお豆腐のように、皆がいろいろな形で楽しめるようになったのですね。
茂山
さらに、息子たちが3世代目の新狂言会「花形狂言少年隊」をつくったのですが、その舞台を見るとまるで客層が違う! 若いお客さんに来てもらうためには、役者も若くないと駄目ですね。

最初は型に忠実に 自分らしさを出すのは一人前になってから
渡邊
時代や役者によって、伝統的な型そのものが変化することはないのですか?
茂山
一人前になるまでは師匠に教えられた型を忠実に守る。狂言には「猿に始まり狐に終わる」という有名な言葉がありますが、「釣狐(つりぎつね)」(演目のひとつ)を披(ひら)いたら(初演したら)やっと一人前で、それから自分らしさを表現していくわけです。うちは長寿の家系で、代々祖父が孫に教えるというスタイル。私の師匠も祖父で、「釣狐」まで面倒を見てもらい、その後、父にも相談しながら自分の狂言を演じていくようになった。次は私が孫を教える番です。
渡邊
長寿の秘訣は狂言そのものにあるかもしれませんね。
茂山
笑いは体に良いそうですが、腹の底から台詞を発声するということが健康的に良いことなのかもしれません。先々代の二世千作は紋付き袴がしきたりだった大正時代に、楽屋へ初めて洋服を着て行って眉をしかめられたそうです。ちなみに今は私の息子たちはジーパンを履いて出入りしております。
渡邊
台本や演じ方は流派によって違うのでしょうか?
茂山
多少変わる場合もあります。家が違えば発声も違いますし、狂言を能のように演じる家もあります。昔は各流派それぞれで舞台を行っていましたが、現代では共演することもありますので、その違いを一度楽しんでみてもいいかもしれませんね。
渡邊
伝統芸能を伝えていくうえで、守るべきこととは何でしょう?
茂山
基本の発声はもちろん守るべきですが、時代に合った狂言を演じていくことも必要だと思います。古典もやるが新作もやる。そうしていかなければ伝統を「守る」ことはできても、狂言を「伝えていく」ことにならないのではと思います。だから、祖父に習った私が次に孫や弟子に教える時は、基本しか教えません。基本を習得したら、父や祖父の芸を見て今度は自分らしいものを作る。狂言は喜劇ですから、先代を真似しただけでは面白味に欠ける。その時代ごとの面白味を加えてこそ、その時代の狂言となるのだと思います。
渡邊
新作狂言は現在どのくらい作られているのですか?
茂山
明治以降、百何十番とありますが一度きりの作品も多い。狂言は舞台セットがありませんし、「これはオリオン星雲に住まいたる悪い宇宙人でござる…」と役者が言えば、それで「宇宙人」になれます。能や狂言は化粧もしませんし、衣裳も面も自前ですから、新作は稽古次第で演じることができるというわけです。
渡邊
佛教大学で客員教授として教鞭を執られていますが、先生は現役狂言師。ご自身が生きた教科書ですから、「教える・演じる」という二役ができますね。実際、生徒に教えられてどんな感想をお持ちですか?
茂山
狂言を観たことがある学生さんが少ないというのを実感したというのが率直な感想です。ぜひ実際に観ていただきたいですね。千三郎はラジオ番組で狂言の情報発信も行っており、最近は、学校や修学旅行の宿泊先の旅館でも狂言会を行っています。逸平は演劇の勉強でフランスに1年間留学しておりますが、コメディなども学んで「お豆腐狂言」の世界をさらに広げてくれると思います。
渡邊
豊かな味わいと笑いのある狂言の世界。殺伐とした最近の世の中ですから、先生をはじめとするたくさんの方々の活動で、現代に明るい笑いをもたらしていっていただきたいと思います。

茂山先生の写真文学部人文学科客員教授
茂山千五郎  しげやま せんごろう
プロフィール
1945年生まれ。1994年十三世茂山千五郎を襲名、当主となる。人間国宝茂山千作の長男。1976年、狂言の活性化のために、弟・茂山七五三、従兄弟・茂山あきらと「花形狂言会」を発足。茂山家の主軸として精力的に舞台を踏み、復曲初演「竹松」をはじめ、SF狂言「狐と宇宙人」など新作狂言にも取り組む。能楽全般に造詣が深く舞台芸術の歴史にも通じている。
渡邊先生の写真文学部人文学科教授
渡邊忠司  わたなべ ただし
プロフィール
愛媛県生まれ。大阪経済大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。日本近世史、日本経済史、近世地域史・自治論を研究。近世地域社会における百姓・町民の生活や生産構造の特質、領主との確執から生まれる政治・自治意識などを解明することで、現代日本社会の問題解決と方向性検索を行う。著書に『大阪見聞録』『近世「食い倒れ」考』(ともに東方出版)など。

『佛大通信』Vol.496(平成19年1月号)より転載
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