Neo Kyoto 有馬 茂 VS 渡邊 忠司 心を未来へ伝える、京の宮大工
宮大工 有馬 茂
Interviewer 渡邊忠司 教授
文学部人文学科
 
> After Interview

「教科書で学ぶ歴史は、信長、秀吉、そして家康といったように、時代の政権の主役にスポットが当たりがちだが、本来、その時代に生きた職人、商人、生産者…あらゆる経済生活を眺めてこそ、真の歴史に迫ることができる」そんな研究姿勢を貫かれている渡邊先生。脱サラ後10年、天分も努力も要する宮大工となり、社寺建築の数々を手がける有馬さん。本物を探求するお二人の仕事観を通して、伝統的で新しいネオ職人像が浮かびます。

「時代を超えて継承されるのは、
 技の奥にある心意気。
 宮大工の本質である“心”を伝えていきたい」

                         ―有馬
有馬さんの写真


憧れ>> 勤め人から宮大工へ、未知の世界へ飛び込んだ

渡邊 阪神淡路大震災を機にサラリーマンから宮大工の道を目指されたと聞きましたが。
有馬   大工への憧れは、むしろ幼い頃からだったかもしれません。郷里の北九州高専では化学工学を学びましたが、卒業時にはやはり大工への想いがありました。しかし、大工の就職募集などありませんし、エンジニアを目指すしかなく、ビルの引越しやプラント輸送など特殊技術を手がける山口県の大手企業に入社。しかし、現実は思い描いた仕事観とはかけ離れていました。時代はバブルも下り坂、悶々としつつ現場管理や価格交渉に追われる日々…。これじゃダメだ、思い切って大工の道を探そう! 同じやるなら、日本にしかない宮大工を目指そうと決意し、遷都千二百年に活気づいていた京都の市役所に電話して修行先探しを始めました。そんな矢先、震災が神戸を襲ったのです。勤めていた会社も対応に追われ、私も阪神地区へ入り、そこで多くの倒壊寺社を目の当たりにしました。倒れている寺と生き残った寺…理由は、古い新しいではない。
ある寺では、斗供(ときょう)(柱の上の升組(ますぐみ))の斗が45cmも動いて、また元に戻っていた事実が焼け跡から判った例もありました。そうした木造建築の妙に引き込まれるようにして、宮大工修行が始まったわけです。
渡邊   私も住まいの宝塚で震災を体験したのですが、確かに倒壊家屋を見渡したとき、昔の建築は想像以上に強いのでは? と感じました。実は私の生家も舟大工で、作業場で育った経験から職人仕事には関心が大なのですが、伝統技術の継承という点でも熱い想いはありますか?
有馬   当初は無心でした。自分はこの世界で通用するのか? すべてを超越した師匠、岡本棟梁から「クビや!」と言われるまでは、食らいついていこう。叱られようが、叩かれようが、学べることは全部吸収しようと一生懸命でした。そんな負けん気の強い私でも、岡本棟梁は超えられませんが、ならば、宮大工の究極にどこまで迫れるかに挑戦したい。岡本棟梁が赤の色で伝えたものを、自分は青で伝えるかもしれない。見かけは違っていても、後世に生き残る建物を造ろうという意気込みは同じです。強い建物を残すと同時に、強い「心」を残せるはず。だから職人は何を継承するか? というと、技より深くにある「心」だと思います。何よりも、宮大工の本質である「心」を伝えていきたいですね。
質問する渡邊先生と有馬さんの写真
↑龍の彫刻を施された蟇股(かえるまた)という部材を前に熱心に質問される渡邊先生。
道具の写真
↑使い込まれた彫刻ノミ、ちょうな、カンナなどの道具。
道具ちょうなの写真
↑ノミよりも早く削れる「ちょうな」。板の厚さをそろえるのにも役立つ。
渡邊   確かに、赤く造ったものを真似ても、それは同じ赤ではない。むしろ、ゼロから自分の色で造りあげてこそ、新たな技術の継承ですね。職人技は経験によって磨かれるもので、サラリーマンと違って一生続けられる仕事である点にも魅力があるでしょう?
有馬   そのかわり、スポーツ選手と同じく体が基本ですから、以前よく親しんだモトクロスバイクもやめました。好きな仕事のためですから苦にはなりません。
渡邊   研究者も似た性分です。大学を離れても生涯研究に夢中でしょうし、一生が仕事であり趣味であり、喜びともいえますね。


使命>> 地震大国・日本で培われた、木造建築の技の粋に出会って

渡邊 社寺建築について、日頃興味のあることをお聞きします。五重塔のような巨大な建築物は宮大工の醍醐味でしょうが、地震で倒れたという話も聞いたことがありませんね。
有馬   五重塔は大抵、芯柱が周囲の建材と関連せずに独立して立っていて、それが伝統的な免震構造なのですが、入門当初は、芯柱を支柱にすればもっと強いのでは? 単純にそう感じていました。以前、丁稚時代に通った訓練校の見学会に参加した際、清水寺三重塔の修復現場で建物内部に入る機会があったのです。一人が上がるのがやっとの空間に、複雑な枠組みとは別に、芯柱が上まで突き抜けている構造を目の当たりにし、伝統技術の神秘を感じました。日光東照宮は、芯柱を脇の柱からつり込んで設置する形式で、時代ごとに新技術の粋が尽くされたことが窺えます。
渡邊   そして免震の要になるのが斗供ですね? どの形も複雑に見えますが、技術的に難しいものですか?
有馬   一見複雑で幾何学的な組み合わせですが、実はシンプルな力学構造です。だからこそ、震災の例のように一旦ずれても復元する力を持っているのです。造る過程で微妙な寸法の狂いは出るもので、それが免震構造になるとも考えられています。ちょっとした溝があるかないかで強度も変わり、そこが職人仕事の妙。外からは見えない技が生きているのです。
八楔の写真
箱継ぎの写真
↑木材を直角に継ぐ「八楔(はちくさび)」(上)と一本の木のように継ぐ「箱継ぎ」(下)。どちらも継ぎ目が見えないほどの精巧さ。
渡邊   まだ新しい社寺建築でも災害で崩れる例がありますが、なぜでしょう?
有馬   構造よりも材質によるところが大きいでしょう。江戸時代と同じ構造で檜を使って建てても、耐久性は全然違う。それは天然木か植林かの違いです。
渡邊   すると材料の確保は重要課題ですね。秀吉が方広寺を建てたとき、柱材を屋久島から運ばせた話は有名ですが、屋久島や白神山地、知床も、原生林は世界遺産で伐採できませんし…。伝統を遺していくには、自然も残す努力が迫られますね。
有馬   吉野の山で大木を伐って出すより、船で海外から運ぶ方が簡単な今、日本古来の檜の調達は難しく、輸入に頼らざるをえません。海外の松や檜も、日本人が買いあさるうちに値が上がり、消費大国日本が材木の値段を決めている現状です。伝統を維持するために、材料に頼らない腕を磨いていく使命を感じます。


職人魂>> 人に使われるな、それなら自分に使われろ!

渡邊 棟梁の仕事とは? 一人前になるには何年かかるものですか?
有馬   一人前になることと、棟梁になることは違います。棟梁には、人より勝る技術はもとより、人を束ねる力が問われます。職人たち十人十様の仕事を念頭に、全員が実力以上の力を出せるように動くこと。カンナ、ノミ、ノコギリ、道具の使い方ひとつも人により得手不得手がありますから、それぞれイメージしながら仕事配分します。現場で寝泊まりも一緒にするうちに性分もわかりますし、段取りに向く人間と、職人肌の人、およそ三年で分かれてきます。棟梁はそうした天分も見極めていくわけです。
渡邊   尊敬する岡本棟梁とは違う自分の色とは何でしょう?
有馬   ひとつの仕事には瓦から建具などいろんな業者が関わりますが、私はその作業の流れを自分で進行管理していくタイプです。岡本棟梁は、業者側が流れを察知して対応していく仕事の進め方です。私は自身が完璧ではない部分を職人の力で補ってもらうために、職人がやりやすいように指示するのです。
渡邊   宮大工としての夢を教えてください。
有馬   日本のすみずみに伝統建築の可能性があります。地方の小さな寺や神社を造るにも、伝統建築の良さを何百年も伝えられる仕事をしたい。死んで名前を残すのではなく、死んでも残る物を造りたい。
渡邊   共感です。研究の喜びもそうで、自分で資料を集め、自分にしか探りえなかったものが、後世の研究につながっていけば、それは本望ですね。
有馬   建築物も後に解体すれば、そこに生きていた技術が明らかになるわけで、それが「技を継承する」ということではないかと思います。人から人、つまりは物から物へ伝わっていく力です。
渡邊   職人というのは、教えられる世界のようでいて、実は能動的に自らつかみ取る道ですね。そうした意味で、自分探しの渦中にいる学生にひと言いただけますか。
有馬   大工の親方連中ともよく話すのですが、伸びる人は放っておいても伸びる。違いは何かというと気持ちのスイッチ、競争心の目覚めです。例えば、掃除ひとつするにも、人に言われてほうきを持つのと、自ら持つのでは、仕事内容が違ってくる。だから、若い職人には、人に使われるな、使われるなら自分に使われろ! と言います。自分に貪欲に動くことが仕事の第一歩。私も常に自分の好奇心に動かされています。


有馬茂さんの写真   「職人が残すべきものは名前ではなく物。
 後世もずっと生き残っていく仕事がしたい」

                             ―有馬
作業所の写真1 作業所の写真2
有限会社 匠弘堂
(本社)京都市左京区田中南大久保町53 TEL075-703-0551
(作業所)京都市左京区静市野中町413 TEL075-741-1888
※両方とも作業所の写真
宮大工 有馬 茂  ありま しげる
プロフィール   匠弘堂専務取締役、宮大工副棟梁。福岡生まれ。阪神大震災をひとつの機に、サラリーマンから宮大工を志す。以後、岡本棟梁の下で研鑽し、「五重塔のように逆らうことなく自然体で基本に全力全身、社寺建築のために尽くしたい」という信条で歩み続ける。趣味は津軽三味線。


After Interview
渡邊先生の写真
「職人の道も、研究の道も、生涯終わりはない。
 生き方そのものが仕事という喜びがありますね」

                             ―渡邊


京都郊外の作業所は、宮大工が手掛ける伝統的な建造物とはかけ離れた趣であったが、たしかな技術と「とき」を受け継ぐ職人がいた。社寺は日本古来の技でしか維持できない独特の建物。若さ溢れる副棟梁のお話を聞きながら、ある種の安堵感と清涼感、いつまでも話し続けていたい気分に浸った、楽しい時であった。遙かな「とき」の中に自分の「色」を残す、まさに職人の生きがいです。
プロフィール 渡邊 忠司  わたなべ ただし
    愛媛県生まれ。大阪経済大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。日本の近世史・経済史研究の中でも、日本の「今」を知る原点でもある「日本近世の村と社会の実態」を、領主との年貢・諸役の賦課・徴収を基軸に探る。趣味はスキーや山歩き。
TOP▲

『佛大通信』Vol.482(平成17年11月号)より転載

佛大ワールドに戻る
(C)佛教大学通信教育部 2000-2005