佛大ワールドに戻る


鷹陵の栞
いざなぎ流への〈旅〉その2
中尾計佐清さんのこと
斎藤 英喜


中尾計佐清太夫
中尾計佐清太夫
 計佐清(けさきよ)さんの笑顔は、とても素敵だ。子供のように人懐っこく、昔話の翁のように心和ませてくれる。でもその笑顔は、「いざなぎ流」の太夫(たゆう)としてご祈や神祭りを行い、また「いざなぎ流」の教えについて語ってくれるときの、他人を寄せ付けない、きびしく、するどい表情の計佐清さんに接してきたからこそ、一層印象深いのだろう。
 高知県の山間村落、物部村(ものべそん)に伝わる民間信仰「いざなぎ流」の太夫である中尾計佐清さんのもとをはじめて訪ねたのは、もうかれこれ十七年前。大学院の学生だったころだ。その年の冬に、物部村の「小松神社」という氏神社で、いざなぎ流太夫による臨時の祭りがあるという情報をキャッチした僕は、いざなぎ流太夫の最長老である計佐清さんに祭りの見学・調査を許可してもらうために、そのお宅を訪ねた。物部の一番奥地にある、小さな家に着いたとき、冬の日はもうとっぷり暮れていた。もともと人見知りする僕は、とても緊張していた。けれど「いざなぎ流」の信仰世界について熱を込めて語ってくれる計佐清さんが、きびしい表情のなかにふっと素敵な笑顔を見せてくれたとき、僕はいっぺんにこの老人が好きになってしまった。計佐清さんはこころよく、翌日から四日間にわたって行なわれる祭りの見学・調査を許可してくれたのである。
 小松神社は、山奥の谷地に鎮座している古い由緒ある社だ。祭りの間、計佐清さんをはじめ、弟子の太夫さんたちも神社に泊まりこむ。僕は近くの宿屋から通うつもりでいたが、貧乏学生だと知ると、一緒に神社に寝泊りすることも許してくれた。それから四日間、僕は太夫さんたちと過ごしながら、いざなぎ流の祭りを目の当たりにすることになったのだ。
 この年に臨時祭を行う理由は、神社の参道を補修し、鳥居を建て替える工事が無事にすんだことを神さまたちに報告・感謝するもの、ということだった。けれど計佐清さんは、「それは表むきのもの」という。ほんとの祭りの目的は、こうだ。
小松神社の境内
小松神社の境内
 参道を補修し、鳥居を立て替えるときに、地面を掘り起こし、川を汚し、山の木を伐ったりして、地の神、水神、山の神のお叱りがあったかもしれない。それは神々と人間たちのあいだの「曇り」や「隔て」になる。だから祭りの本当の目的は、山のものは山へ返し、川のものは川へ返すことにある……。「普通の祭りとは、ずいぶん違う考え方だろう」と計佐清さんは付け足した。
 「山のものは山へ、川のものは川へ」。この言葉は、深い山々や川に囲まれて生活する物部村の人たちが、山川の自然の領域と人間たちの領域とをきちんと分けて生活してきたことにつながる。そして、人間たちが山川の神々の世界を犯すようなことがあって、神々からの「お叱り」があったとき、その調停を果たしてくれるのが、いざなぎ流の太夫たちであった。太夫は、まさに神々と人間との「中継ぎ」なのだ。計佐清さんがゆったりとした調子で語る「山のものは山へ…」という言葉。その言葉を繰り返し聞きながら、そこに「いざなぎ流」の核心があると僕は深く感じたのだった。
 祭りの四日間、夜になると自家発電機は止まってしまう。蝋燭のほの暗い明かりのなかで、計佐清さんは弟子の太夫たちに「式をうつ」とか「呪詛(すそ)」「調伏(ちょうぶく)」とかいった、いざなぎ流の秘密に関わることを、ふだんの日常生活の延長のように語る。「いざなぎ流は恐ろしい力をもっている。だから気をつけて使わねばならない……」と弟子たちへレクチャーしていく。そんな話を横で聞いていた僕は、自分が今いつの時代にいるのか、一瞬わからなくなってしまう。
 祭りのあとは、さっきまで神楽を舞っていた神社の拝殿に布団を敷いて、計佐清さんたちと一緒に寝た。布団をかぶっていても、頭のうえを風が吹く。近くを流れる谷川の音も高く聞こえてくる。自分のまわりに、山や川の神々たちが棲息している、そんな息遣いを感ぜずにはおれなかった。そうなのだ、僕が「いざなぎ流」に魅了されたすべては、ここから始まったのだ。
 それから、何度、物部村へ、計佐清さんのもとへ通っただろうか。あるときは、弟子の太夫さんのライトバンに乗せてもらい、山奥の家の祭りを訪ね、また夜はお弟子さんたちへのレクチャーに加わり、あるいは計佐清さんの家で二日間、朝から夜までぶっ通しで、「いざなぎ流とは何か」についての講義を聴く……。そんなとき、計佐清さんは砂糖をたっぷり入れたコーヒーを何杯も飲みながら、七十を越えた老人とは思えない情熱的な語りぶりを見せる。
 そのうち、気がついた。自分が、「調査」をするという立場よりも、まるで計佐清さんの「弟子」のように教えを聴いていることに。計佐清さんも、いざなぎ流の「秘伝」を教えるとき、このことは家族にも喋ってはいけない、それを喋ったら、今まで学んできたお前の力は失われると、「弟子への忠告」を繰り返していたのだ。そして近いうちに、正式な弟子入り(許し)の儀式をやろうと話を進めているとき、計佐清さんは病に倒れ、入院した。退院縺A計佐清さんは太夫の一線から身を引いた……。
 いざなぎ流太夫・中尾計佐清さんが亡くなったという知らせが届いたのは、二十世紀最後の年の暮れ―、朝早くだった。



斎藤先生 [PROFILE]
さいとう ひでき

1955年生まれ。日本大学大学院博士課程修了。専門は神話・伝承学。高知県の民間信仰「いざなぎ流」のフィールド研究、安倍晴明を中心とした陰陽道の研究が最近のテーマ。著書に『いざなぎ流 祭文と儀礼』(法蔵館)、近刊に『日本評伝選・安倍晴明』(ミネルヴァ書房)。

『佛大通信Vol.466』(平成16年7月号)より転載

佛大ワールドに戻る
(C)佛教大学通信教育部 2000-2004